今回は立教大学兼任講師、出産育児環境研究会代表の菊池栄さんと一緒に考えていきます。菊池さんの専門はリプロダクションとジェンダー、社会デザイン学で、元々はマタニティ・コーディネーターとして27年間、マタニティ・クラスを東京で開催していました。世界各地18カ国に行き、出産や赤ちゃんの写真を撮り、世界各地の出産に関する取材・調査を行ってきた経験をお持ちです。現在は立教大学ほか看護大学の助産専攻科の講師をされています。
じょさんしnavi柏村
菊池さんの著書を拝読して印象的だった表現の中に、そこに人がいれば必ず出産はあると。著書には沢山の妊娠出産育児をサポートするような方が登場しますが、すなわち出産のあるところには、いつも助産師の役割を担っている人が存在するという認識は間違っていないでしょうか?
菊池
「助産師の役割」をどのように定義するかによって、答えは異なってくると思います。
助産師をプロフェッショナルな医療者、すなわち西洋医学を基礎としたケア者、あるいは介助者と定義するのなら、プロフェッショナル(賃金を得てケアする人)として出産に助産師が関わるようになったのは、世界中で近代、西洋医療化以降です。
そうではなく、ミクロネシアの産屋の話に出てきたように出産の際にはコミュニティの女性たちがさまざまに関わっていて、その中で出産のときに赤ちゃんを取り上げる役目の女性がいました。そうした女性たちを助産師の役割とするのなら、それは太古の昔から存在したのではないでしょうか。チベットの遊牧民のように限られたコミュニティの場合には、姑や夫が介助しました。それも助産師の役割を担ってる人と考えることもできます。
西洋医学が浸透する以前は、世界各地の隅々まで、日常の中で赤ちゃんは生まれ、人々は互いに助けあっていたのです。
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日本では唯一産婆が大名行列の前を横切ることができたとされていますが、世界でも助産師のような役割を担っている方々は、現地の方の生活になくてはならない存在なんでしょうか?
菊池
出産はコミュニティの中で大切なイベントの一つなので、女性同士が助け合いをしていたのだと思います。それはプロフェッショナルということではなく、人と人との助け合いです。出産を介助する女性がコミュニティの中で地位が高かったかどうかは、その時代や文化によって異なるのではないでしょうか。位が高い職種というのではなく、あくまで互いの助け合いの中でのケアだと思います。人々は病の際や、死を迎えるときには互いに助け合っていて、出産だけが特別な出来事というわけではなかったのではないでしょうか。
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菊池さんの著書には男性助産師のコラムがありますが、実際に男性助産師がどんな役割を担っていたのか教えていただけますか? 日本では法律上男性が助産師になることはできません。そのためイメージがつきにくいのですが、その国で男性助産師がいる意義について教えていただけないでしょうか?
菊池
現在はヨーロッパやアフリカの国々で男性助産師が存在する国があります。昨年ICM(国際助産師会議)に出席しましたが、アフリカからの男性助産師が目立ちました。タンザニアでは、助産師学生に男性を取り入れるようになったのは2010年代のようですが、すでに最近の助産師学校の学生は半数が男性だということでした。アフリカは男性によるパターナリズムが強い国が多いので、助産師という女性性を基礎としたケアの領域に男性が進出するときに、男性性を全面に出してしまっているように感じました。医師が出産領域に入ってきたときと同様、医療者として男性が分娩室に入り込んでくる感じです。
一方で、スイスやフランスの男性助産師たちはフェミニンな印象で、出産における女性性のケアを尊重するような印象を受けました。
助産師に男性を入れるか入れないかという議論は、多様なセクシュアリティの延長として考える必要があります。ですから日本においても、伝統的に女性しかなれない職業として今後維持するべきなのかは疑問です。けれど、出産はあくまでも女性性に根ざした女性の身体と精神を扱う領域なので、それは尊重されなければいけないでしょう。
じょさんしnavi柏村
菊池さんは日本だけでなく世界中の出産現場を体験されたわけですが、スバリ海外で助産師として働くことはアリでしょうか?
菊池
働き方はそれぞれですので、一人一人の選択です。ただ助産師という職能は世界中に存在する専門職です。JICAでも採用率は高いのではないでしょうか。助産師に限らず、世界に目を向けて働き方を選択できる時代になっていますし、とりわけ助産師や看護師はニーズが高い職能であることは確かです。どうぞ世界に向けて、アンテナを張っていってください。
じょさんしnavi柏村
将来的に海外で働いてみたいと思っている助産師が、今やっておくべきことなどはありますか?
菊池
英語を学ぶこと。あるいは、助産師として海外で仕事をすることを考える以前に、まずは行きたい国に行ってみてはいかがでしょうか。
じょさんしnavi柏村
菊池さんご自身のこれからの活動の展望や、日本の助産師に期待することなどがありましたら教えてほしいです。
菊池
助産師は女性として、どんどん世界各地へ進出して仕事を見つけて欲しいと思います。一方で、かつてのように日本は先進国として途上国に何かを提供したり、教えたりする時代ではなくなってきています。日本の女性や子どもが貧困状態になり、困っている母子はたくさんいる。助産師のやることは日本にもたくさんあります。考えていただきたいと思うのは、日本のジェンダー格差です。ご存知の通り日本のジェンダーギャップ指数は世界で125番目と先進国の中で一番低い。少子化も深刻です。ハラスメントも横行しています。産科の中でもハラスメントがあります。そもそもパンツを脱ぐ診療科は他にありません。産科において女性のセクシュアリティは尊重されているでしょうか。もしかしたらみなさん自身がなんとなく生きづらさを感じているかもしれません。それが今の日本社会の閉塞感です。
これは何が起因しているのでしょうか。日本は女性が生きにくい国だから、ジェンダーギャップ指数が低いのです。助産師は女性を支援し、守る仕事です。助産師として、一般の女性たちのためにも役に立つことはたくさんあります。どうぞ自分なりの方法を考え出して、フェミニストとして行動していただきたいと思います。
この本を通じてお伝えしたかったことは、出産にはさまざまな国の文化が存在し、そこには豊かな女性たちのエネルギーが溢れているということです。現在わたしたちは、出産は医療的事象で、危険で大変なこととして刷り込まれていますが、実は女性にとってセクシュアリティが開花する瞬間ですし、身体エネルギーが満ち溢れる体験なのです。もちろん産む・産まないは個人的選択ですが、産む選択をした女性たちには、助産師としてそうしたお産の豊かさを理解した上で尊厳に満ちたケアをしていただきたいと思います。そのことによって助産師自身がエネルギーをもらえます。
助産師はヒトが生まれてくる瞬間を守り、迎えるいい仕事だと思います。これからも誇りを持って仕事をしていってください。
助産師の役割は、出産という人生の大きな節目において欠かせない存在です。日本と世界の助産師の役割やその違いを理解することで、私たちはより良い出産環境の構築に向けた一歩を踏み出すことができます。各国の文化や医療体制によって助産師の役割は多様ですが、共通していえることは、母子の健康と安心を第一に考える姿勢です。
出産は一人ではなく、支え合いの中で行われるものです。助産師の知識と経験は、妊産婦にとって大きな支えとなり、安心感を与える存在であるべきです。私たちは助産師としての役割を再認識し、女性がより安心して自身の産み育てる力を発揮できるようサポートしていく必要があります。